T2-7 原因と結果

”既に指摘したように、恐れからの解放を私に依頼することはできません”

今日、友人とお茶をしていまして。

彼女は、真剣に、今起こっていること(起こっていると思い込んでる事)これから起こりそうな不安な事、恐れなどを、語ってくれました。

私は、当事者じゃないので、彼女が見ている世界や、ドラマがどういったモノかは、分かりません。

けれど、彼女は、それを、現実の事、現実に起こる事として、シリアスに語ってくれました。

かたっている最中は、そのドラマに没入していて、他の選択肢は目に入らない。

私が、淡々と、聞いていると、彼女も、だんだん、気が付いたようで。

果たして、この恐れは、本当なのだろうか? この世界を私は、選択したいのだろうかと。

そこからは早かったですね。

如何に、ドラマに嵌っていたか、如何に、ばかばかしい事(彼女の言葉ですが)を行っていたか、自分で気が付いていく。

正に、間違った心を、聖霊に預けて、訂正が、正しい心への訂正が、おこって行く様を、目撃させて頂いた感じでした。

正に、こんな感じなんだろうなと。

恐れに嵌っている彼女、埋没、没入している彼女には、何もできない。

そのドラマに付き合わず、判断、ジャッジせず、ただ聴くだけ。

けど、そのあとですね、間違いに気が付く、訂正したいという意図。

これを、自覚する事、意志を持つことが大切なんでしょうね。

間違いは、幻想は、消滅していく。

自身の意志と選択が、大切。

思いの力、マインドの力

”奇跡を行うと、必然的に、思いの力を理解することになり、これによって誤った創造を避ける事ができます。さもなければ、マインドそのものをただすための奇跡が必要となり、それは同じところを回り続ける循環運動となるだけで、奇跡が意図した、時間の崩壊を促進する事にはなりません。”

幻想から抜ける事、抜けた視点で世界を見る事。

先の友人との会話。

自分も幻想に埋没する、一緒に入って、その世界から、話す事もできる。

それは大変だね、こうしたらよいんじゃない!

それは許せないね、そうなったら問題だね….

限定的な赦しの世界。

彼がそういった事をするのには、理由が有ったんだよ。次は大丈夫なはずだから、今は、心を落ち着かせて。

こんな感じで、恐れとか、不安とか、罪悪感を認めたうえでの許しは限定的なモノになるし、それに対して、一時的に、相手や、自分の思いを変えられたと思っても、それは、結局、一時的、幻想的なモノ。

罪も罰も、恐れも、幻想である。

間違った心のままだと、間違った創造が繰り返されていく。

結局は、それが、間違った心が作っている事、幻想の世界の出来事であることを自覚する。

ここから抜ける事が、それが幻想であることを受け入れて、選択する事が、訂正の、奇跡の一歩となる。

”あなたは、「私達」を誤って知覚し、あるいは、「私達」でないものを「私達」であるとして創造し、あなたが作ったものを信じています”

”誤って創造すると、苦痛を体験します。すると、因果の法則が、一時的にではあっても、全てのものを加速して行きます。”

マーフィーの法則であったり、引き寄せの法則であったり。

まあ、これも、心が知覚する法則ですが、それほど、心の力はパワフル。

嫌だなーってことも、具現化すると思い込むし、素晴らしい事も、引き寄せると思い込んでいる。

”したがって、この世界における、基本的な葛藤は、創造と誤った創造との間に存在します。後者にはありとあらゆる恐れが、前者にはありとあらゆる愛が内在します。したがって葛藤は、愛と恐れの間にあるものです。”

恐れと愛

”無とすべてのモノが、共存する事はできません。一方を信じれば他方を否定することになります。恐れは実際には無であり、愛が全てです。光が暗闇の中に入るたびに、暗闇は廃棄されます”

無が実在している、暗闇が存在している。その存在を、信じている限り、愛や、光は、存在できない。

これは、正しい心と、間違った心が共存できない事。

妊娠してるのは、100%妊娠しているか、していないかのどちらかで、50%妊娠しているという事は、起こりえない。

暗闇を、無を、実在していと認識している時は、間違った心の時。

この間違いを自覚する事。自覚して、選択出来る事。聖霊と共に、正しい心を選ぶことが出来るという事。

正しい心を選択すれば、直ちに、暗闇は消えていく。

修正が必要である、間違っていることを自覚して、選択を変える。

これによって、心の準備が確立される。

神の子で在る事の一体性

”神の全ての創造物が「神の子」であるとするならば、全ての存在は、「神の子の全て」の不可欠な一部でなければなりません。「神の子であることの一体性」は個々の部分の総和を凌駕するものです。しかしながら、全体を構成する部分が、一部でも欠ければ、この事実は、不明慮なものとなります。”

”無とすべてのモノの葛藤は、「神の子の全て」の全ての部分が、戻るまでは、究極的には解決しません。「神の子の全て」が戻って初めて、完全性の意味が理解できます。”

これは、本当、相似的な、フラクタルな世界で。

自分の心の投影、相似形が世界であって。

自分の心が、恐れを放棄する。恐れをすべて手放した時、あがないが完了して、完璧性を取り戻す。正しい心で、スピリットである、愛である自分を思い出して、一つとなる。

私達全てが、神の子であるから、私達すべての、あがないが、完了して、世界が、幻想が消滅する。

きょう、流行の「君の名は」という映画を見てきましたが、観終わった後に、降ってきたイメージとしては、もしかしたら、次元、時間、空間と言う、幻想の世界の中で、私達は、実は、全人類というか、知覚するすべてのものと、無意識に、入れ替わっていて、全てを経験しているのではないのか? そんな事を、感じました。

その視点に立つと、相手も、自分も、結局一緒。

瞬間瞬間、相手を、自分と感じて、正しい心で、人と接する。

その事が、更に、当たり前に感じました。

準備と達成

間違っていることを自覚する事で、準備の状態が確立される。

ただし。

”準備の出来た状態と達成は、混同されるべきではありません。準備ができた状態になると、すぐに、達成したいという、願望がある適度、生じるのが普通ですが、まったく迷いが無いわけではありません。この状態は、マインドが、変化する、潜在的な可能性以上のモノを暗示している訳ではありません。”

”準備ができた状態は、自信の始まりにすぎません。これは、準備のできた状態から、制御までには、莫大な時間がかかることを暗示していると、あなたは考えるかもしれません。しかし、思い出してください。時間と空間は、わたしの支配下にあります”

知覚的な例えではありますが、北海道に行くことなどできないという恐れを間違いであると受け入れる。

行けるんだ!って思いと共に、準備が始まる。

ここで、迷い、不安がでるんでしょうね。

けど、交通手段をみつけることが出来るのかな?行く時間を取れるのか?お金は、事故はおこらないかetc、etc 不安が出てくるんでしょうね。

これを、自分で行う必要がないって事ですね。

サプライズ好きの、旅行代理店にお願いするだけ。

この旅行代理店が、聖霊のようなもので、自分では想像できないやりかたで、自分たちを導いてくれる。

このお願いして、北海道にたどり着く。北海道は、正しい心の例えですが、それを経験して、訂正が達成されるのでしょうね。

北海道に行けない結果は、運が無いのでも、才能がないのでもなく、自分の心が、それを信じていないのが、いけない事を信じていることが、原因。

それを訂正しない限り、結果は変わらない。

結果は結果であって、全ては、原因に支配されている。心に、支配されている。正しい心の力に委ねる。

そういうことなのですね。

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