T1-1.奇跡の原理①

miracle

すべてにおいて、その言葉の意味を、その本質的な意味と共に、理解しあうのは、心の状態によっては、なかなか難しいことなのかもしれません。

奇跡のコースの教師のためのマニュアルにもこうあります。

「言葉は、シンボルのシンボルでしかなく、したがってそれは、真実のモノから2倍遠ざかっています。」

間違った心の状態で「これはこういう意味だと」決めつけると、またそこから、間違った感覚が上書きされていく。

結局のところ、解りあう、理解しあうという事は、正しい心と正しい心で繋がる、自分の正しい心で、相手や、世界を見るという事につながるのだと思います。

そういった前提の基、まずは、奇跡の原理、奇跡とはどういう事かを、50の説明の言葉を受けて、”感じる”のが、この章の主題であると感じます。

実際、意味を理解する事ではなくて、どういった思いで言葉を使うか、届けるか?そして、そこに何を感じるか? それが、コースの世界かなと感じます。

奇跡の原理1~10

”奇跡に難易度はない”

これは、とても、象徴的な表現だと感じます。

私たちは、難しい、簡単だ、優れている、劣っている、ついつい、私たちの価値観や、価値基準で知覚し、判断しがちですが、それは全て、私たちの間違い、勘違いからくるもので、実際は、100%間違っているか? 愛が100%なのか?

そのどちらかでしかないと、コースでは、語られています。

そして、源として、愛から生じるものは、全て奇跡である。

愛が、原理原則であって、真理であり、不変である。

なので、奇跡が起こらないという事は、何かが間違っていることにつながります。

そして、愛、奇跡は、真理であるから、それは、実在するものであり、なので、それは自然になされる、当然の様に、無意識に行われていく。

愛は、不変のものであるから、信じさせる必要はない。

また、ここでは、「奇跡は全ての人の権利ですが、はじめに浄化が必要です」とあります。

これは、まず、自分たちが間違っている事を自覚する必要が、あるのだと思います。過ちを目撃するという事。

自我(エゴ)は巧みに、私たちが間違っていることを、悟らせないように、感じさせないように、あらゆる手段を使ってきます。

目撃される、それが有る事を、自覚されてしまうと、永遠ではない自我(エゴ)は消え去ることを恐れているからです。

これは、知覚の世界ではありますが、一時的に、より多くを持っている人、より、浄化が進んでいるとみられる人から、一時的に、より少なく有する人に行われるとあります。

こういった関係性の中で、奇跡が共有される、交換されることで、間違った知覚を越えた、正しい心の世界、真の世界、愛の世界を共有し、永遠である愛が、延長、拡がって行く事になります。

奇跡の原理11~20

時間や身体の役割について書かれています。

時間も身体も幻想であり、あるのは、実在するのは、スピリットのみ。

時間や、身体の役割は、奇跡を経験する、訂正、愛を感じる事であって、そのためにのみ、建設的、創造的に使う事ができます。

自分の間違いを自覚した時、自分は、遅れている、遠回りしていると感じるときがありますが、それは、実は、そういった誤った思いの基になっている、過去を解除し、未来を解放していて、大きく、前進していることにつながります。

また、神の基において一つである、全て同じ、一緒である感覚から、周りを自分自身と、同じように愛し、愛され、与え、受け取る事で、それぞれの力を増大させていく事、愛として、延長していく事になります。

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