T1-2.啓示、時間、そして奇跡
縦の意識、横の意識。
神、キリスト、兄弟、神の子といった、感覚が、説明されています。
創造主、神
縦の感覚としては
神(創造主/父)- キリスト(兄/神の子) ー 私達
といった感覚で
横の感覚としては、私達が、周りの人と、横並びの世界に居る感覚。
時間が有って、過去も未来も有る感覚ですね。
縦の感覚の世界は、時間消滅していく感覚、瞬間瞬間となって行って、原因と結果が重なっていく感覚の世界ですね。
全てが同時、瞬間、完璧なモノで一致していく。
原因と結果も、瞬間で、同時に成り立つ。
神の創造物は、完璧なので、生まれた瞬間完璧であって、完結している。
なので、完璧なモノしか、存在しないのが、実在の、真理の世界となるのですね。
キリスト、兄弟、私達
キリスト=一なるもの イエス-キリストは、私達の知覚する世界で、唯一、全ての間違いを訂正して、神の創造物である、一なる神の子であることを体現された人物。
本来、私たちも、神の子で、一なるもので、私たちも一体なのですが、私たちは、分離を感じており、恐れや罪といった、間違った知覚をしている存在であること、これが、キリストと、私たちが、一緒であり、一緒でないと感じている理由です。
奇跡と時間
”縦軸、あるいは、横軸の世界にあっては、「神の子」である仲間の対等性を認識するのには、殆んど、永遠に近い時間が必要なようです”
と、コースのテキストにあります。
対等であること、全て完璧で愛される存在であること、全て罪が無く、無罪である、同じ、一なる神の子であることを、認識することと、置き換える事も、出来ると思います。
そうですね、どれだけの時間、自分と人は違う。あの人は優れている、私は優れている、あの人は劣っている、私は劣っている。
そんな事を含めた、比較や、分離、罪悪感の世界に居続けるのでしょうか?
それこそ、無限の時間が過ぎていく感覚が有るのではないでしょうか?
先にもありましたが、時間の目的は、時間の建設的な使い方を学ぶことと在りました。
建設的な使い方とは、そうですね、時間を奇跡にささげるという事ですね。
学ぶ必要がなくなった時、すなわち、キリストであることを知覚した時、時間は消滅します。原因と結果が全て、一致していきます。
奇跡は、私たちが、間違った心、マインドから、正しい心、マインドへ訂正されていくプロセス。
なので、訂正が進めば進むほど、訂正に要する時間も短縮されていきます。(何千年も要したかもしれない、学びにとって代わるとテキストにあります。)
啓示と奇跡
啓示は、神と神の間の創造物のコミュニケーションに原型が有り、啓示は私達と神を一直線に結び、奇跡は、人と人、私たちの間で行われ、奇跡は、私たちを、横に一直線に結びます。
奇跡は、私たちは、一なるもの、同じ、神の子であることを、認識する経験。恐れからの解放。
啓示は、神から、私たちの、真の私達、正しい心、スピリット、愛の部分と、神とのコミュニケーションであり、完全な愛の体験。
私たちは、まずは、一なる存在、完璧な、神の子であることを思い出すために、奇跡という経験を通じて、一なる存在、兄弟であることを確信し、時間を超越して、全て、完璧である世界を、思い出していくのでしょう。