T3-2 真の知覚としての奇跡
”既に述べた通り、このコースの中で言及されている様々な基本概念は、程度の問題ではありません。”(T-3.Ⅱ.1:1)
”このような概念は、まったくの真実であるか、まったくの間違いであるかのどちらかです。どちらかの概念にしっかりコミットするまでは、あなたの思考は不安定で在り続けるという事を理解することが不可欠です。”(T-3.Ⅱ.1:4~5)
コミットと言う言葉を聞くと、リンツイストさんを思い浮かべます。
世界的な活動家で、ビジョンに対するコミットメントで活動されている方です。
リンさんは、とても、不思議な雰囲気と言うか、許しに溢れている方。許しを実践されている方だと、感じるのですが、彼女の講演会で、彼女の雰囲気に触れると、意味も分からず、泣き出してしまう方々が、沢山います。
以前、リンツイストさんと、本田健さんの講演会に参加した際、リンさんの話が、印象的、象徴的だったのですが、本田健さんが「家庭的な事と、ビジョンに基づく活動に対しての、バランスはどうされているのですか?と質問をされました。」
リンさんは「バランスという感覚ではなくて、integrity(誠実さ、真摯さ、一貫性)だと、感じている」
と答えられていました。
何事に対しても、自分の気持ち、感じていることを大切にして、全てに対して、真摯に向き合う。
そんな事をおっしゃっていました。
個人的な感覚ですが、そんな雰囲気から、真実の世界を、垣間見させて頂いた、まさに、奇跡のコース的な、考え方、聖霊と共に在る方だなと感じました。
罪の無さ
”罪の無さは、普遍的に応用できる視点となって、はじめて叡智になります。罪の無い知覚、あるいは、真の知覚とは、誤って知覚する事が絶対になく、常に、真の意味で見る事を意味します。”(T-3.Ⅱ.2:4~5)
”誰かがこれからしようとしていることを信頼できない時、あなたは、その人は正しいマインドの状態にないという自分自身の信念の証となっています。”(T-3.Ⅱ.3:1)
罪を認識しない、叡智の目線。
罪や判断が存在しない、完全な赦しの目線。
罪はやっぱり存在しない。
間違う事はあるけれど、それは罪ではない。
真実の世界、時間を超越した世界、自分も相手も一つで、完璧に許されている世界から見ると、良い、悪いといった、価値判断は存在していない。防御しなければ、攻撃しなければ、そんな感覚もない。
信頼できない時は、やっぱり恐れているんでしょうね。攻撃される、何かが足りない、罰せられる、そんな恐れからの目線。
罪はないんですね。ただ間違っているだけ。そして間違いは、ただ、消えていく。
誤った創造
”あなたは「神の意志」を恐れています。なぜなら、あなたは「神」が「ご自身の意志に似せて」創造されたあなた自身の意思を用いて、誤った創造をしてきたからです。マインドが誤った創造をするのは、自由でないと信じているときだけです。幽閉されたマインドは、それ自身によって取りつかれ、あるいは、抑止されているが故に自由ではありません。したがって、マインドは制限され、マインドの意思は、自由に自己主張することができません。”(T-3.Ⅱ.4:1~4)
攻撃、防御、罪、罪悪感、誤った創造をしている、間違った心を選択している。
マインド、心の、力ですね。
自分で敵を知覚して、判断して、創り出して、攻撃し、防御している。
忙しいですよね^^;
平和でもないし、心も安らがないし、自由でもない。
そんな世界を創りだして、真実に怯えている。
防御した瞬間、攻撃した瞬間、誤った世界を創りだしている。
幻想からの防御を解除してみる、そして真実を守る。
完璧に既に、創られていることを認識しる、感謝する、そんな祈り。
一つの心
”一つであるということは、一つのマインド、ないしは、一つの意志であるということです。「神の子すべての意志」と「父」が一つとなる時、その完璧な一致は「天国」そのものです。”(T-3.Ⅱ.4:5~6)
”いかなるものも、自らのスピリットを「父の手」に委ねる「神の子」に打ち勝つことはできません。スピリットを「神の手」に委ねることによって、マインドは眠りから覚め、「創造主」を思い出します。(T-3.Ⅱ.5:1~2)
罪の無い世界を想像してみる。
敵の居ない世界、攻撃の無い世界、防御の無い世界、違いの無い世界、全てが平等、同じ、一つの世界を想像してみる。
全員が、全員を許している、許し合っている、受け入れあっている、一つであることを、当たり前に認識している。
分離など想像もできない、経験もしたこともない、全てが一つである、安らぎの世界。
そんな受容と尊重と、感謝に満ちた、温かい世界を感じます。
全ての中にある真実
”罪の無い者は、ハートが純粋であるが故に、本当の近くに対して、自分自身を防御する代わりに、本当の知覚を防御します。”(T-3.Ⅱ.5:8)
”歪みを修正する唯一の方法は、歪みに対する信頼を撤回し、真実であるものにだけ、信頼を投資する事です。真実でないものを、真実にすることはできません。知覚するすべての中にある真実を受け入れる気持ちが有れば、あなたは、それがあなたにとっての真実になることを許すでしょう。”(T-3.Ⅱ.6:1~3)
知覚するすべての中にある真実。
本当の自分、本当の相手、スピリットへの信頼。
罪や罰、ゆるされていないという、前提で見える世界と、全てが許されている、完璧な真実の世界から、見える世界。
同じ出来事においても、前者を選択すれば罪を見るし、後者を選択すれば、愛が、真実が見えてくる。
ある意味、選ぶことはできない。
ただ、真実に目覚めるだけなんですね。