T2-1.分離の起源
分離は起こっていなかった。
この状態、その確信から出来事を経験する事が、聖霊の導きの結果であり、コースの教えの行きつくところだと思います。
しかし、私たちは、分離した存在として、間違った知覚や心で、世界を理解したと思い込んでいる、目の前でおこっている出来事に機械的に反応しているケースが多いのだと思います。
投影と創造性
正しい心の状態。完璧な愛の状態である、神からの延長として創られた完璧な創造物である私達からは、その愛が延長していきます。
愛は、永遠であり、無限であり、そしてすべてのモノがそうであるから、それは自然と拡がって行きます。
この能力、現象が、分離した状態、エゴ、自我として、不適切に用いられた(用いられたと思い込んでいる)時に、投影を私たちは行っています。
この投影、分離の過程は、以下だと、コースでは述べています。
①自分の心で「神」が創造されたものを変える事が出来ると信じます。
②完全なものが不完全なもの、あるいは欠如したものになり得ると信じます。
③あなた自身を含めた「神」の創造物を歪曲することが出来ると信じます。
④自分自身を創造できると信じ、自分自身の創造の方向性は、自分次第であると信じます。
これは、私の幻想、間違った心の判断であることは間違いないですが、この感覚は、子供のころに体験しやすい(体験したと思い込んでる)ケースが多いのだろうと思います。
ある意味、子供の頃は、何が上手く行く、行かない、正しい、正しくないといいった、判断は、ほとんどなく、ただ、心の赴くままに、自分を表現しているケースが多かったと、思います
これも結局、自分の分離と投影が創り出したと思い込んでいる出来事ですが、親とか、兄弟とか、先生とか、環境が、自分をそうしたと思い込んでいるケースがありますが、結局、自分が、それを投影して創りしている。(創りだせたと思い込んでいる。)
自分が完璧な創造物で在る事から、分離する、自分は違うんだと思い込み、廻りや、環境を使い、そうであることを、外の世界に見る、愛ではなく、間違った心で、歪曲的に、見て、投影をする。そして、その世界での価値判断を基に、自分を創りかえる努力をする。
この状態を選択している限り、間違った心の状態で居る限り、回り道をし続ける。
結局、私たちに出来ることは、すごくシンプルで、正しい心を選択する、完璧である自分達を、思い出す事だけなんだと思います。
そこには、無限の豊かさがある。
水道みたいなもので、内から、豊かさが、水の様に無限に湧いてくるのに、水が枯渇する事や、蛇口をあけすぎる事に恐れを感じたり、空けるために、色々な儀式や資格が必要だと思い込んでる。
本当は、素直に、蛇口を開いて、出てきたものを、分かち合う、そんな感覚なのだろうと感じます。
創造性の乱用
”すべての恐れは、究極的には、あなたが「神」の力を、不法に乱用する能力をもっているという基本的な錯覚に帰する事ができます。”
自分の心が見るものが、世の中に、映し出されるのだと思います。
正しい心からみれば、その愛の世界が。
間違った心からみれば、その恐れの世界が。
自分が、不法に乱用できると思い込んでいるから、相手や、世界もそれが可能だと勘違いする、錯覚する。
結局は、世界が恐ろしいのではなくて、自分の中に、その分離した、恐ろしい世界が有る事を、信じているから、錯覚しているから、そのような世界を目撃している。
そういった事なのだと感じています。
なので、変えるのは世界ではない。
変えるのは、自分の選択。
正しい心、聖霊とともに、見る世界を選択するのか?
間違った心、分離した心、自我とともに見る世界を選択するのか?
その選択の訓練、練習を日々続けていく事。
それが、コースの学びなのだと感じます。