コミュニケーションの原点

昨日友人が、日曜日、子供の誕生日だったんだって話をしていて、子供が小さかった時は、本当、初めての子育てと言うこともあり、色々大変だったと話をしてくれる。

その初めてだから大変って感覚は、何となく、自分の中にも感じるところはあって

そして、もちろん、その「初めての経験」の中に、喜びとか楽しさもある

そんな成長を感じるって話の中で、赤ちゃんに対する、人の態度の話しになる。

赤ちゃんは、純粋に、喜怒哀楽を表現してくれて、それに対しては、ただ、ただ、大丈夫だよ、大丈夫だよって気持ちで、接することが出来る。

話しながら感じた事として、コミュニケーションの原点はきっとここにあって

片方が安心感の基に、委ねる、依存して
片方が安心感の基に、受け入れる、自立、受容している感覚。

完璧に受け入れられたと感じられると、受け入れられた側も、だんだんと、相手を受け入れることを学んで行く、延長していく。

そして、だんだんと、お互いが、お互い、委ねたり、受け入れたりといった、関係性が育まれていく。

大人や子供といった感じで、枠や、定義化をついつい、してしまいがちですが。大前提、そこにも、完璧に委ねあう、受け入れあうといった、完璧性という、対等性しか存在しておらず

あえて、子供が、大人になる瞬間を定義づけすると

それは、この、完璧に受け入れられてる安心感と、完璧に受け入れることのできる安心感、その両方の感覚を表現できる様になった時なのかもしれない。

ただ、面白い事に、大人になった、大人だと思ってる私達は

子供?の様に、完璧に受け入れられる安心感を求め続けたり、受け入れられないことに、絶望して、一人で拗ねて頑張ってみたりと、子供の頃とあまり変わらない行動を繰り返したりしている

原点は、シンプルで

完璧に受け入れられてる存在と、完璧に受け入れてる存在や経験がそこには在って

結局は、その原点を思い出す、完璧な親密さ、完璧な関係が在るだけなのにあの手この手を使って、色々複雑にしてしまう、自分達が居る

初めての経験が、大変に感じる理由として

その、大変に感じる、初めての経験ってなんだろう?って考えてみると

その瞬間の完璧さに委ねてみることと、その瞬間の完璧さを受け入れてみることに通じていて。

初めて接する世界や人に、赤ちゃんが委ねるように

初めて出会う、赤ちゃんに、人が接するように

どちらが赤ちゃん? 子供? 大人?

要は、どの瞬間でも、その瞬間、瞬間が、新たな関係性に一歩踏み出す瞬間で。

そう感じると、何のことはない、全ての瞬間、瞬間が、実は初めての経験であって。

赤ちゃんが生まれた瞬間から経験することが、全て初めての経験ではあるけれど、完璧性に委ねることしか出来ない様に。

そんな赤ちゃんを、完璧性で、包み込む様に。

結局は、全ての瞬間は、初めての経験で、その全ての初めての経験に対して出来ることは、その完璧な出来事を、委ねる、受け入れる、ただそれだけであって。

それに確信できた瞬間、時間は消滅していく。

世界には、完璧な瞬間しか存在しない事になる。

赤子の様な、無垢さの完璧性。

それを見守る、受け入れる、父や、母の様な、完璧性。

間違いなく、自分たちに備わっている、生まれつき持っている変わらない完璧性。

生まれつき、全ての知識を持っている事が、何か、身近に、感じれました。

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