自我をひっくり返す
最近、良くやっている、セルフワークの一つとして、常識をひっくり返すって事があります。
例えば、ある人との関係性の中で、連絡が来なくて寂しいな~って感じたり、あの態度は、ゆるせないな~酷いな~って感じたりします。
これは、自分の自我が
「連絡来ない事は、寂しい事だ」
「ああいった態度は、酷い事だ」
って知覚、ジャッジしてるんですね。
これは、反面、今、自分が「寂しい」って感じているから、相手から連絡が来ない事に、寂しさを見ていたり「自分は酷い扱いを受ける人間だ」って思いが、そこに酷い態度を見ていたりするんですよね^^;
頭では、感じれる、こんな感覚を、一歩前進させるというか、見方を変える意味で、今、見えてる世界を逆転させてみると、結構、面白かったりします。
例えば「連絡が来なくて寂しい」
「連絡が来ると寂しい」とか
「連絡が来なくて嬉しい」とか
これ、実際に感じてみると、まんざらでもなっかったりするケースがあって
状況的にありますよね^^;
一人で、責任を持って、楽しくやってる時に、細かく確認の連絡とかが入ると、かえって、信頼されてないのかな?って寂しくなったり^^;
(この時の寂しさも自我の幻想ではありますが^^;)
この逆の感覚ですね、一人で任せてもらえてる事、信頼されてると感じて、連絡が来ない事に嬉しさを感じたり^^
先日、このワークをしていて「孤独が寂しい」って感じている、自分が居て。
けど、孤独な状況って必要であったり、普通にありますよね。
で、ひっくり返してみました。
「孤独って楽しい」って
そしたら、案外、しっくりくるんですよね^^;
「あれ、孤独を楽しんでる自分が確かにいるな!」
「孤独に感謝している、一人で、自分と向き合える時間も有難いなって感じている自分が居る」
「そして、そんな時は、一人でも、人とのつながりを感じていられる、信頼して居られる。」
で、こんなワークを重ねていく中で、感じる事としては、本当、心で見たいもの、感じていることを、世界に見てるだけなんだなって^^;
出来事に対して、勝手に自分が、知覚して、判断してるだけなんだなって^^;
今朝、目覚めたとき、この感覚。自分が、世界を創っているなって感覚が、確信的に、降りてきまして^^;
自我の知覚、考え方に引っ張られているとき。
あえて、反対の見方をしてみる。
これは、自分の常識や、自我から抜け出す。
聖霊と一緒に目撃する事にも通じますね^^;
常に、祈りの日々だなと感じる、今日、この頃です。