T1-6.必要性という幻想

miracle

”神から分離しているという感覚だけが、あなたが真に修正する必要がある唯一の欠如です”

もともと、神の完璧な創造物である私たちに、欠如という感覚は存在していませんでした。

そこから、私たちが、分離してしまった、離れてしまったと勘違いしてしまったため、欠如でいう幻想が生まれたと間違った心は認識していますが、結局のところ、私たちの過ち、間違いは、この分離してしまったという過ちに集約されている、冒頭にあるように、唯一の欠如は、神から分離してしまったという勘違いから生まれており、そこにのみ、訂正の必要性、欠如を埋め合わせる、許しを、奇跡を体験する、必要性が、間違った心の私達には求められています。

奇跡の原理にもありましたが、ここには、大小も、優先順位もなく、ただ、その分離からの修正を求められるのみです。

本来、この様にシンプルではあるのですが、私たちが、間違った知覚や、過去の経験に基づき、順番を付けたり、複数のレベルに問題を断片化し、複雑かしています。

必要性の順序という考え

”あなたの不信を修正するために活用すること、それがこの世界の真の目的です”

そもそも、神から分離できるという、最初の過ちから、そこから、私たちの、恐れは、自我は(エゴは)、その過ちにを、様々なレベルで、実在するかのように、私たちに、信じさせ続けています。

間違った私たちは、私たちの態度のみにおいて、創造主と似ていて、それは、創造された世界を、創造主が完璧に信頼している様に、私たちが作り出した誤った世界、私たちが作り出した、恐れや、過ちの世界が、完璧であるように、私たちは、信じ込みます。

信念は、存在の容認を生み出します。

他の誰もが信じない事を、間違った私たちは、それが真実だと思い込みます。

何故なら、それは、私たちが都合の良いように、作り出した世界だからです。

「相手がこう思っているに違いない」

「相手の態度はこういった意味に違いない」

親は、兄弟は、学校は、会社は、社会は、国は、世界は。

こういった思い込みの世界にも、本来大小はなく、唯一、神から分離している世界をみている。このことに、集約されるのですが、私たちは、様々なレベルの分離を、現実であるかのように、信じ込んでいます。

どの世界を信じるか?

答えは凄くシンプルで、聖霊の助け、サポートを受けながら、本来の、実在の真実の世界を、信じる、その修正の奇跡を経験していく。

”完全なる愛は恐れを払拭する

もし恐れが存在すれば、完全なる愛は存在しない”

しかし

”完全なる愛だけが存在する

もし恐れが存在すれば、存在しない状態が生み出される”

コースの教えはものすごくシンプルで、恐れは、幻想で、存在しない。

愛のみ、真実で、それは、不変であり、永遠に存在し続ける。

唯一の必要性は、神から分離している間違った知覚を修正すること。

心のとめておきたいですね。

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