1.心(マインド)と霊(スピリット)

奇跡のコースマニュアル

心という言葉も、霊という言葉も、普通に生活、成長していく中では、なかなか、深く学ぶ、感じる機会は、宗教的な考え方に、オープンな、家庭や、学校で育つ以外は、それに恵まれる機会は、少ないと感じつつも、何らかの形で、心や、霊に触れる機会、なんとなく、こういったモノかな~って感じる機会は、案外多い気もしています。

正しい心と、間違った心

心の籠った手紙、心の無い言葉、心を開く、心を閉ざす、心を無にする

こんな言葉があるように、頭の中に、浮かんでくる、思いには、なんとなく種類がある違いがあると、直感的に、感じているのではと思います。

コースでも、幻想の中に居る、私達には

愛とか、永遠に変わらない、霊的な感覚とつながる「正しい心」と、自我とか、恐れとか、不安や、罪、罪悪感とつながる、「間違った心」があるように、描写されています。

正しい心は、持って生まれたというか、生まれたとき、創造された瞬間に、最初から、変わらず、自分の中に存在し続けているものとつながっている。

意味もなく感動したり、ただただ、導かれるように惹かれたり、何故かわかっているような感覚が、これに近いのかもしれませんね。

間違った心は、幻想であり、無いモノなのですが、あると錯覚しているもの、過去の経験から、こういったモノなのかな?と、恐れや、不安、罪悪感を引き出す、感覚なのかなと。

この間違った心の訂正、訓練が、奇跡の経験なのだと感じています。

霊(スピリット)

霊(スピリット)は、愛、神、永遠のものと、繋がっている部分。創造された、永遠で不変のモノ。

聖霊、ホーリースピリットもここに属していて、ただ、聖霊は、私たちの間違った心に、根差した部分も見ていて、私たちの意思に基づいて、間違った心から、正しい心への訂正、奇跡をサポートしている。

”心という言葉は、創造エネルギーを供給して、霊を活性化する主体を表すために使われている”

と、マニュアルの解説にはあります。

これは、なんとなくの感覚ですが、心が喜ぶような事、みんなが喜ぶような事、直感がそうだと言っている事、何故かいてもたってもいられないような感覚、こんな感覚を感じている時は、無限のエネルギーや、応援を受ける感覚が湧いてきて

反対に、やらなければと思っている事、義務でやること、せねばならないって感覚、これも、言葉た解釈いよって如何様にでも捉えられますが、なにか、痛みや、困難が伴う感覚は、エネルギーを絞り出したり、強要したりするような感覚。

私たちは、完璧な存在で、何一つ欠けていない、豊かである感覚は、前者の感覚。

なにかの欠如を見ている時は、後者の感覚。

どちらの世界を、どちらの声を選択するかは、自分たちに委ねられている。

正しい心しか、愛しか存在しない、私たちは完璧で満たされている。

この言葉の持つ、力強いエネルギー。

その世界を感じれたとき、信頼できたとき感じれる、満たされた感覚。

その世界の存在を思い出す、その世界に存在していること思い出す、それを、学ぶ、気付く、訓練する。奇跡のコースはそのためのツールなのだなと、深い感謝と共に、感じます。

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