レッスン130 ふたつの世界を見ることはできません。

二つの世界

”二つの世界を見ることは不可能です。私が自由と解放を見つけることができるように、神が私に差し出される強さを受け容れさせてください。そして、この世界に価値を見させないでください。”

”二つの世界を見ることは不可能です。私は私の自由と解放を求めます。そして、これは私が望むものの一部ではありません。”

二つの世界

世間一般的な、善悪の世界、良い悪いの世界、優れいている、劣っているといった、2元論的世界を越えた、二つの世界。

知覚的判断や、価値観で観る世界と、それを越えた、判断の無い完璧な世界。

大病を患う、失業する。

世間一般的な、価値観では、悪い出来事。

と見えてしまう事もありますが、正しい心、聖霊と共に見ると、それが、幻想であること、それを見ていることが、過ちであり、間違いであることに気が付ける、奇跡のツール、瞬間として見る事もできる。

本当、私達は、沢山の間違いをしているんですね。

そして、その間違う事に対しても、いけない事、悪いことと、決めていることすらある。

恐れは、間違いであって、そして、その間違ってることに対して、又、お恐れる、2重で間違える。 

笑い飛ばしてしまえばよいのかなって思います。

奇跡に大小はない。

これは、大前提ですが、その中で、笑い飛ばせる間違いと、ゆるされないって思っている間違いが、存在する。

これは、判断ですよね。

あきらかな間違いと認識できたもの。

最近の私の経験ですと、羽田から、金沢の小松空港行きのチケットを取っていたつもりが、行も帰りも 小松→羽田 小松→羽田 で予約していて。

笑うしかできませんでした。

昔の自分であれば、愚かな自分を責めたり。予約システムの問題だと、罪悪感を投影して、機械や、相手を責めていたかもしれません。

けれど、起こってしまった事は、仕方ありません。

笑うしかできませんし、先方にも、起こっていることを伝える事しかできませんでした。

結果は、ベストの便に変更していただき、キャンセルがでて、予定通りの時間に、到着できました。

恐れに飲み込まれた、世界を見る事もできたかもしれません。

その世界をみないで、それでも、問題ないという、世界を見る事もできます。

世界は実はシンプルで、何が起こっても大丈夫という信頼の世界と、そうでない世界、間違った心、恐れの心が見せる、そんな世界の2種類があるように、感じています。

どちらの世界を選ぶか?

二つ同時に見る事はできません。

瞬間瞬間、選べることを思い出す。許せること、許されていることを思い出す。そんな繰り返しなのだと、ワークをしながら感じました。

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