気づきの連鎖
昨日はコースのテキストを学ぶ勉強会。
テーマは10章 「病の偶像」
病という言葉と、恐れとか、エゴとか、不安とか。
病と聞いた時、私達が、知覚するのは、病気と定義された現象であって。
それはある意味、知覚しやすいモノ、幻想に巻き込まれやすいモノでもあって。
実際に病気と定義されていないものから、次々に生まれてくるように見えている精神的な病、それこそ、依存症といった、日々、何かに執着する思いそのものも、病の幻想と言えるのかもしれない。
そんな病を見過ごす。無かったものとして見つめる目線。
見ないという決断。
昨日は、メトロノームの話を例えにしながら、話をしていて。
こんな感じで、病に反応せず、ただ、たんたんと、委ねていると、おおいなる何かに、共鳴していく。
次第に共鳴していくんだねと、話をしつつ
そんな話をした瞬間、みんなで共通の気づきが
「あ、結局、共鳴していない、幻想を見ているんだね、本来は、常に、何時でも共鳴しているのに、共鳴していない世界を見ているんだね。」
奇跡は二人以上で目撃する。時間の崩壊。
その瞬間、そんな事も感じ取れた、素敵な時間となりました。