T1-4.暗闇からの脱出
暗闇。光がないという状態への思い込み。信念。
一なるもの、愛そのものから分離していると思い込んでいる、私たちは。暗闇が、存在していると、思い込んでいる。
通常、暗闇を隠す事が出来ない、見透かされると思っている時、私たちは、恐れを感じるのだと思います。
こんな自分であることが、分かってしまったら、嫌われる、拒絶される、罰せられる、離れていく、etc,etc、過去の経験を基に、様々な、恐れが、不安が、恐怖が存在すると、認識して、間違った知覚をして、その暗闇に対して、恐れを抱くのだと思います。
こういった、暗闇を持っている事、それを恐れていることを自覚するのが、暗闇からの脱出の第一の段階。
そして、それをもし、隠せたとしても、それを隠す必要はないんだなと。
隠さず、それを、奇跡の道具にする、奇跡の瞬間にささげていく事で、実在しない、暗闇を、光に捧げて行く事で、恐れから脱出することが、出来る。
進んで、神と心を通わせ、安全で平和で、喜びと愛に満ちた世界が実在する世界、その一員であることを思い出す。
これが、暗闇からの脱出、本当の自分、スピリットであることを、思い出すプロセスなのだと思います。
誤った心、マインド、正しい心、マインド
誤った心は、愛が欠如しており、その恐れから、恐れの世界を知覚します。
正しい心は、聖霊に使える、実在の世界へ繋がり、あがない、奇跡を起こして、幻想、暗闇を、うちはらいます。
心を聖霊に使えさせ、常に、心を、正しい方向へ、正しい方向へ、実在、不変のスピリットに気づく方向へ、心をシフトさせることを意識することで、贖い、奇跡を経験する事になります。
欠乏と豊かさ
”暗闇は欠乏という信念の一つの例”
欠乏という、誤った概念。欠乏している自分、何かが足りない、何かが劣っている、愛が足りない、愛されていない。
そんな暗闇を持っている事、隠している自分が、見透かされることを、私たちは、恐れているのだと思います。
そんな恐れている自分はダメだとか、恐れを抱くなんて、私はなんて、未熟なんだろうとか、そんな感覚も、暗闇であり、恐れにつながっているのだと思います。
恐れからの脱出として、確かに、まず、自分たちが、そんな恐れ、欠乏感を信じている事を、自覚するのは、最初の一歩として、必要なのかもしれません。
それを隠しとおせてると確信している人は、それを隠す事に、無意識にエネルギーを使っていたり、その隠していることを、相手に投影して、自分がそれを持っていない世界を作り出す、自我、エゴの世界、暗闇が有る世界にエネルギーを注ぎ続けている事に気が付けないのかもしれません。
そして、第二段階で、それを持っているけど、隠す必要が無い。
何故なら幻想は、暗闇は、かならず、打ち破られる、光であふれる、消えてなくなるから。
永遠で無いモノ、不変でないものは、実在しないので、消えてしまうから。
この、永遠の豊かさ、決してなくならない、不変の世界。
生まれたときから、創造されたときから、全てにおいて、豊かで、完璧で不変であることを確信できている世界。
これが実在の世界で、本当の世界、本当に豊かな世界。
これしか、実在していないのに、世界に、欠乏と、暗闇、恐れを見ている時は、何時でも、間違っている、誤った心で、世界を知覚している時。
欠乏の世界への信仰を放棄して、豊かさと光、愛に満ちた世界を選択する。
恐れを克服するのは、欠けているモノを手に入れるのでなく、今、この瞬間が、完全であること、完璧であること、豊かであることを思いだすこと。
暗闇からの脱出、暗闇から抜ける事はそういった事なのだと思います。