嫉妬の原理、奇跡
勉強会を開いていると、何時も面白く感じるのが、なんとなく、共通のテーマを持った人たちが集まって、その会ならではの、テーマが見えてくる。
昨日の奇跡のコースの勉強会で見えてきたテーマは「嫉妬」でした。
嫉妬と聞くと、知覚的に、判断的に、なにか、悪いモノ、どろどろしたもの、見苦しいモノ、汚いモノ
なんか、避けたい感情、思いとして捉えがちで
エゴは(自我は)ここぞとばかり
嫉妬を感じるなんて、お前は何て未熟なんだ、はしたないんだ、駄目なやつなんだと、語りかけてくる(笑)
感情は感情であって、そこに、良い悪いもなく
ある人の事を素敵だな~って感じるように
あるひとの事を面白い人だな~って感じる言うに
自然にわいてくる思いで、そこに、良い悪いはない
まず、この思い、嫉妬という思いを感じる事を許してみる
あ~今、嫉妬しているんだな~
嫉妬している自分をただた感じてみる。
その思いを感じ切ったなかで、預けてみる。
聖霊に、嫉妬という思いを預けて、愛と、奇跡の道具として使ってもらう。
誰かに嫉妬を感じる時。
それは、相手に自分を見て、本当の自分、愛である自分を思いだしていた自分が
兄弟の中に、愛を感じていた、思い出していた自分が
私は、愛ではなかった、同じでなかった、分離しているという間違った思いに、振れているとき。
愛であることを覚えているから、自分の本質が愛であることを知っているから
そこに分離を見たとき、見たと思い込んでいるとき
本当は一つであること、一緒であること、繋がっていることを思い出させてくれるシグナルとして、嫉妬を感じる。
どんな道具として使われるかは、私達には分かりませんが
嫉妬をしている人もやはり愛の人なのだと、Call for love
愛を感じる仲間なのだと、気付かせていただけた、一夜でした。